「近江山河抄」(白州正子)より

 先日友達がおもしろいことをいっていた。歌舞伎の連中を琵琶湖に案内したが、
比良山を教えても、一向に反応を示さない。で、「近江八景の比良の暮雪ですよ」と
いったとたん、みな感動して振り仰いだという。自然を活かしているのは言葉なのだ。
或いは歴史といってもいい。もし「近江八景」というものがなかったら、比良の高嶺
に雪が降ろうと降るまいと、誰も興味を持ちはしないだろう。ということは、自然は、
―少なくとも日本の自然は、私たちが考えている以上に人工的なものなのだ。自然の
破壊ということをやかましくいうけれども、その根は環境庁が考えているよりはるか
に深い所にある。ただ保存するだけで、それが甦るとは思えないし、環境庁よりむし
ろ国語審議会の仕事かもしれない。
                                                                    (p.14)